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マイノリティの「つながらない権利」を読んだ


本書は、アルビノの当事者が書いた書籍である。

「マイノリティの『つながらない権利』」は、マイノリティとされる人々が必ずしも他のマイノリティと繋がる必要はないという視点から書かれた著作である。本書では、マイノリティ同士の「つながり」を当然視する風潮に対する問題提起がなされている。

「つながる」ことの強制からの解放

本書の核心は、「つながる/つながらない」という二択ではなく、その間にはグラデーションが存在するという考え方にある。マイノリティへの支援を当事者コミュニティに押し付けることは、公的責任の放棄ではないかという指摘は重要である。生存に関わる最低限のつながり(障害年金や生活保護など)は必須だが、それ以外のつながりは個人の好みや選択に委ねられるべきだという主張には説得力があった。

コミュニケーションが得意ではなく、興味、好きが大切というのも納得がいった。

優生思想とマイクロアグレッション

本書では「優生思想」や「マイクロアグレッション」についても言及されている。表面的には褒めているつもりでも、実際には相手を傷つけてしまうような言動が社会に根強く存在している。「できない人」を下に見る風潮は、現代社会においても様々な形で表出しており、マイノリティ自身が「自分が何かおかしいのかもしれない」と自責の念を抱くことも多い。

アクセシビリティの視点から

アクセシビリティを推進する立場からこの本を読むと、デジタル空間における「つながらない権利」の保障と「必要最低限のつながり」の確保のバランスについて考えさせられる。

Webサイトやアプリケーションの開発において、アクセシビリティとは単に障害のある人々への配慮、アクセスしやすくする土台を作るだけでなく、あらゆるユーザーが自分の望む方法で情報にアクセスできる権利を保障することであるなと思った。つまり、「強制的につながる」のではなく、「必要に応じてつながれる」環境を整備することが重要なのではないかとも思った。

例えば、スクリーンリーダーだったりキーボードナビゲーションの実装は、視覚障害や運動障害のあるユーザーが「必要最低限のつながり」を確保するための技術的基盤となりうる。一方で、ユーザーが望まない通知や強制的なインタラクション(アニメーション視差)をデフォルトで有効にすることは、「つながらない権利」を侵害する可能性があるのかもしれない。

「つながらない権利」

本書の知見をWebに適用すると、以下のような視点が得られる気がした。

  1. オプトイン/オプトアウトの選択肢を適切に提供すること
  2. 情報へのアクセスに複数の経路を用意すること
  3. コミュニティ参加を強制しないこと
  4. 必要最低限の情報は障壁なく得られるようにすること

もちろん上記以外にも、複数あるがこれらの視点をデザインや実装に取り入れることで、「つながらない権利」を尊重しつつ「必要なつながり」を確保できる包括的な環境を構築する必要があるのではないかと感じた。

先日のGAADアクセシビリティカンファレンス東京でも、このような視点を持った議論が行われていた。

おわりに

著者の考え方が、本書の後半のインタビュー形式で再考されていく様子もあり、興味深かった。

「マイノリティの『つながらない権利』」は、マイノリティの問題にとどまらず、現代社会におけるコミュニケーションや繋がりの在り方について再考を促す一冊だ。

アクセシビリティに取り組む中で、技術的な対応だけでなく、このような社会的・思想的背景を理解することが、必要だと改めて思った。